Hi,
海外サッカー挑戦・第2回を紹介したいと思います。
1回目は海外サッカーチャレンジした動機に少し触れました、今回は渡豪した後どのようにチームを探して行ったかなどについて書きます。
まず、シドニーへ行こう!と決めてから日本での手続き等を全て終わらせて飛行機に乗って旅たちました。渡豪した時は日本では冬だったので、降り立ったら…そこは夏。最初に印象は暑いイメージしか残ってない。エージェントを通して渡豪したので空港までピックアップして頂きその足でシェアハウスへ!
シェアハウスに着いたらそこは別世界でした。私が住んでいたシェアハウスは一軒家、二階建てで部屋数は7〜8部屋ぐらいある大きな家。その中の一部屋で生活がスタート。1人部屋ではなく5人部屋…いま思い出してもすごい経験です。住んでいるのはアジア人がメインで部屋には韓国人と日本人。シングルベッドが20センチ間隔で置いてありその一つで寝ます。寝返りをうつとすぐ横には人がいる状態です。シャワーも人数が多いので空いたらすぐに行かないと誰かにすぐ入られてしまうので常に神経をとがらせていた記憶があります。さらに付け加えると1日で使えるガスの量がおそらく決まっており、途中から冷水しか出てこないので温かいシャワーを浴びるのは早い者勝ちです(笑)
この生活は長くは続けられないと思い、翌週には引越しをする!!と考えていたのですが…結局1ヶ月半ほど暮らしました!住めば都と言いますが、ここでそうなるとは思ってもなかったです。なぜ、住み続けれたかと言うと、もちろん慣れもありますが同年代のルームメイトの韓国人たちとご飯に行ったり、観光に行ったりと楽しい時間を過ごせたのが大きい理由です。私は英語が話せましたが、このような関係が一番手っ取り早く英語が上達する方法だと思います。
私はなかったですが、シェアハウスの中ではお金を盗まれた、食べ物を勝手に食べられたなどといったこともありますので全てが平和と言うわけでもないのでそのあたりは注意が必要です。
次はサッカーの話に変わりますが、まず日本で身体をあまり動かせていなかったので6部ぐらいのチームに行き練習に混ぜてもらい少しずつ身体を慣らして上のカテゴリーでトライアルにいこうと決めてました。6部のチームの練習では日本ではやったことのない練習はもちろん、オージーの身体の大きさに驚きました。幼少期アメリカで生活をしていたので大きい免疫はあったのですが、感覚が全然違い圧倒されました。ただ、技術のレベルは低かったです。でも身体をぶつけられたら勝てないのでボールを失うシーンも少しあり、どのようにボールを持ったら失わないかなどを考えるいい機会になったのは確かです。
練習参加して1〜2週間後あたりのトレーニング後に6部のチームスタッフから君とは契約はしないと一方的に言われました。最初からここで契約を取ろうと思っていなかったのでなんとも思わなかったのですが、なにか寂しい、悔しい感情になったのを覚えています。
身体も動き始めてきたので次に現NPL1に所属していたチームに練習参加が決まり早速参加しました。やはりレベルは6部のチームとは全然違い、練習する環境も違えば、練習の質も全然違いました。数段、プレースピードも早いし、強い。英語は話せたのですが選手との距離がなかなか埋まらず、また練習参加してる身なのに消極的なプレーをしていました。そのようなこともあり、2週間ほど練習参加しても何もフィードバックがなくこのまま練習参加していても”練習生”で終わりそうだと思い次のチームにチャレンジしようと決めました。
希望を持ってシドニーに渡ったのですが、2チームとも契約の話をもらえず…この先大丈夫か?となんども自問自答。悩んでいても明日はやってくるので、がむしゃらにチャレンジを続けます。
今回はここまでです!サッカーの話を多めにしようと思ったのですがシェアハウスの話は意外と知られていないので紹介させて頂きました。ただ、私が行ったのは10年ほど前なので改善されているかもしれません。いや、改善されていることを願います。シャワーの件は特に!
次回は1部のチームを諦め次に行くチームの話をしたいと思います。
そのチームとの出会いで私の人生は大きく変わり、今の自分があります。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございます。
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